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藤井隆らが出演する「発見!仰天!!プレミアもん!!!土曜はダメよ!」(読売テレビ)が、11月21日(土)で放送500回を迎える。これを記念し、レギュラー出演者の藤井隆、YOU、桂小枝、フットボールアワー、ピース、NMB48の門脇佳奈子と藪下柊による取材会が行われ、それぞれが番組への思いや今後の展望などを語った。
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「土曜はダメよ!」は2003年9月に「ウィークポイントこそチャームポイント」「ダメなものほど愛らしい」を合言葉に誕生したトークバラエティ。藤井とYOUを中心とした出演者が織り成すブラックな笑いが人気を博しており、特に藤井が繰り出す強烈なムチャぶりから生まれるシュールな展開にゲストからは「サイコバラエティ」と呼ばれることもある。
会見では番組が「サイコバラエティ」と呼ばれていることについて言及された藤井は「出演者一同、そんなつもりはまったくありません!」ときっぱり否定。しかしフットボールアワーの2人は「サイコですよ! あなたがサイコを担っているじゃないですか!」、小枝も「OAではほとんどカットされてるけど、藤井くんのみんなへのムチャぶりがほかの番組とは違うんですよ!」と訴える。また後藤が「ここで鍛えられたおかげで東京の番組で汗をかかなくなりました」と証言するひと幕も。
一方、フットボールアワー岩尾は「ゲストの若手芸人たちが(藤井のムチャぶりに対し)『これで良かったんでしょうか?』と言って帰っていくんです。俺もわからんし、と言いながら12年やってきました。よく言うと自由。『土曜はダメよ』と言いながら、何年か前からは日曜も放送してるし、こないだなんて朝やってるし、放送枠も自由。そんな感じで気づけば20年とかいければいいなと思います」とコメントした。
2014年5月からレギュラーとなったピースは又吉が「僕たちは加わって間がないので、皆さんと一緒に“500回”と誇らしげにここにいていいのかな……と本来思うところですが、そういう気持ちにはならない(笑)。最初からおったんじゃないかなというぐらい迎え入れていただいています」とすっかり馴染んでいることを明かす。綾部は「番組に出だしたころに関西のお客様からお手紙で『あなたは関東弁なので違和感あります』と非常に厳しい意見をいただいて。でもだんだん慣れてきた頃、その方からまたお手紙で『最近は慣れてきて違和感ありません』と(笑)。徐々に溶け込んできてるのかなと思います。これからももっともっと溶け込めるようにがんばりたい!」と意気込みを語った。
発見!仰天!!プレミアもん!!!土曜はダメよ!
読売テレビ 毎週土曜16:00~17:00
<出演者>
藤井隆 / YOU / 桂小枝 / フットボールアワー / ピース / 門脇佳奈子(NMB48) / 藪下柊(NMB48) / 白間美瑠(NMB48)
引用:「土曜はダメよ!」放送500回、藤井隆のムチャぶりにフット&小枝が苦情
引用:「土曜はダメよ!」放送500回、藤井隆のムチャぶりにフット&小枝が苦情
スクウェア・エニックスは、東京ディズニーリゾート内の商業施設、イクスピアリのシアターにて、ディズニーファンイベント「D23 Expo Japan 2015」の開催を記念したイベント、「キングダム ハーツ プレミアムシアター」を開催した。
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イベントではまず、「キングダムハーツ」シリーズの歴代CM映像が上映された。懐かしい初代作品から時系列順に上映されていく、そしてその最後には……2016年に発売予定のプレイステーション 4用タイトル「キングダム ハーツ HD 2.8 ファイナルチャプタープロローグ」、さらに開発中の「キングダム ハーツ III」と思われるシーンが一瞬だが映し出されていた。
ウォルト・ディズニー・カンパニー・アジアよりシニアヴァイスプレジデントのジャスティン・スカルポーネ氏、そしてスクウェア・エニックスより「キングダム ハーツ」シリーズのエグゼクティブプロデューサーである橋本真司氏が登場し、来場したファンに挨拶した。
続いては、シリーズのサウンドコンポーザーである下村陽子さん、そしてピアニストの中山博之氏が登場。ステージ中央に置かれた2台のピアノにそれぞれ座る。シリーズ楽曲の生演奏だ。
ピアノの前にはキーブレードが置かれ、スクリーンには演奏中の楽曲名とともに、その曲を象徴する場面やキャラクターのイラストが映し出される。
雰囲気の高まるなか、お2人は二重奏で「Dearly Beloved」、「The Other Promise」、「Musique pour la Tristesse de Xion」の3曲を披露。まさにプレミアムなその演奏に、場内からは大きな拍手が贈られていた。
続いてステージには、「キングダム ハーツ」シリーズディレクターである野村哲也氏が登場! ここからはシリーズの最新情報、さらには“会場限定”で「キングダム ハーツ HD 2.8 ファイナルチャプタープロローグ」や「キングダム ハーツ III」の映像、そして開発現場の様子などを収めた映像が上映されていく。
まず公開されたのは、PCブラウザ向けにサービス中のゲーム「キングダム ハーツ キー」について。新ワールド「ビーストキャッスル」が11月5日より追加される。野村氏によれば今後も新たなワールドなどを追加していくということだ。
次に、スマホアプリで9月よりサービスを開始した「キングダム ハーツ アンチェインド キー」。こちらでは、ミッキーのコーディネートをしたアバターなどが手に入るイベントを本日(11月3日)の18時より開催する。なお、「王様KHII Ver.」のメダルは翌朝4時以降に手に入るということだ。
ここからは会場限定の映像が上映されていった。
まずは、ソラ役の入野自由さん、ロクサス&ヴェントゥス役の内山昂輝さん、リク役の宮野真守さん、カイリ役の内田莉紗さん、テラ役の置鮎龍太郎さん、アクア役の豊口めぐみさんが、順番に、映像で出演して、それぞれの演じたキャラクターや、「キングダム ハーツ」シリーズへの思い入れを語った。長く続いているシリーズだけに収録当時のことを懐かしく語りつつ、他の出演陣のことをゲーム内のキャラクターたちと同じように、本当に幼なじみのように感じているという。まさに絆の生まれた作品だったということだ。そして、これから描かれる新しい物語に期待を寄せていた。
次に上映されたのは、「キングダム ハーツ HD 2.8 ファイナルチャプタープロローグ」に収録される「KINGDOM HEARTS 0.2 Birth by Sleep -A fragmentary passage-」の映像。こちらは「Birth by Sleep」のその後を描いた完全新作ショートエピソードであり、闇の世界にただ1人取り残されたアクアのその後となる。
そこには、最終決戦に向け準備を始めるソラに語られる、3人のキーブレード使いの存在。アクアと闇の世界で出会ったことを話す王様など、「2.8」のナンバリングが示すとおり、「3」へと繋がっていきそうな気になるシーンが収められていた。
さらに、同じく「2.8」に収録される、過去に3DSで発売された「キングダム ハーツ ドリーム ドロップ ディスタンス HD」の映像も公開。「Birth by Sleep」もそうだが、PS4クオリティにしっかりとHD化されている。
そして……、会場ではPS4/Xbox One向けに開発中の「キングダム ハーツ III」の“冒頭シーン”が上映された。
そこには、チェスのようなテーブルゲームで黒と白にわかれて対局しつつ、少年2人がかつてあったという「キーブレード戦争」について語りあっていた。詳しくは知らないと話す白の少年、そんな彼に「ロストマスターって聞いたことある? 戦争は彼らが起こしたんだ。“次期マスター”候補なんだから知っているだろう?」と黒の少年がたしなめる。
次第に2人の会話は空気が変わっていく。「光は闇に飲み込まれる。もう決まっている、この世界の結末は」と。「結末が決まっていたらつまらないだろう? もし闇に敗北するなんて結末なら……俺が書き換えるさ」と。そして、白と黒の大きな駒が盤面で相対し、映像は終わっていった。
このあとにも、初公開となるゲーム中の画面や東京の開発チームがモデリングを作成している様子、動きをテストしている様子など、断片的ながらもいくつもの映像が上映された。
野村氏いわく、そもそも「キングダム ハーツ」ではメイキングを見せるつもりはなく、また開発の流れとしても後編のワールドから作っているということもあって、お見せできるような序盤のシーンがほとんどないという。それでも、そんななかからギリギリ見せられるものを集めてきて、会場限定で公開したということだ。会場でそれをみた人はまさにほんの一握りであり、プレミアムな体験だ。
生演奏から、出演キャスト陣のメッセージ、さらに最新作のとっておきの映像と、たっぷりのイベントだったが、最後にサプライズが待っていた。なんと、王様ことミッキーが登場!突然のことに会場は驚きの大歓声!
ミッキーはステージ上のキーブレードを手に取りポーズを決めたり、ステージから降りて来場者とふれあっていくなど、サービス満点。野村氏、下村さんも同じく来場者席を歩き、ふれあっていた。
というわけで、ファンにはまさにプレミアムな、たまらないイベントとなったが、最後の最後には「シリーズ」の名場面を繋げたスペシャル映像も上映。全編をとおして「キングダム ハーツ」がくれた感動や美しさをたっぷりと思い出せる内容となっており、その感動で包みこんでイベントは締めくくられた。
©Disney Developed by SQUARE ENIX
【GAME Watch,山村智美】
引用:「キングダム ハーツ プレミアムシアター」が開催プレミアムな生演奏から会場限定ムービーの数々、さらに“王様”も登場!
引用:「キングダム ハーツ プレミアムシアター」が開催プレミアムな生演奏から会場限定ムービーの数々、さらに“王様”も登場!
イラク、アフガニスタンから帰還した兵士とその家族たちは、2002年から反戦運動を組織し始める。ヴェトナム戦争時に高揚した反戦運動は徴兵制下の運動だったが、「対テロ戦争」に派遣されているのは志願兵。どのような動機と論理で、「自由意思」で参戦した兵士と家族たちは反戦を訴えるに至ったのだろうか?市川ひろみ京都女子大教授の寄稿の最終回。(整理/石丸次郎)
【他の写真を見る】 路上で米軍の身体検査を受けるバグダッド市民
「死傷の危険にあるのは、私たちの愛する人々である。その経験から傷つき帰還してくるのは、私たちの愛する人々である。無実のイラク市民の負傷・死とともに生きていかなくてはならないのは、私たちの愛する人々である」
アメリカ軍兵士・帰還兵は、軍内外で反戦運動を行なってきた。特にヴェトナム戦争時には、多彩な活動が展開された。1970―71年には、徴集された4人に1人が、反戦ビラ、反戦カフェ、サボタージュなど何らかの不服従・反戦活動に関わっていた(49)。当時は徴兵制であったため、多くの人々―社会的に恵まれた環境にある人々も含め―が直接の当事者であった。
「反戦ヴェトナム戦争帰還兵の会(Vietnam Veterans Against the War: VVAW(50))」による戦場の実態を知らせる活動は、アメリカ社会において広く人々の注目を集めた。
しかしながら、現在は志願制であり、すべての兵士は「自由意思」で入隊しているため、現役の兵士が反戦の活動に関わりにくい。「対テロ戦争」では、戦場を経験した帰還兵による運動だけでなく、兵士の家族らによる反戦運動が登場した(51)。
2002年に結成された「声を上げる軍人家族の会(Military Families Speak Out: MFSO(52)」は、軍に親族あるいは愛する人をもつ、イラクおよびアフガニスタンでの戦争に反対する人々の組織である。
「家族や愛する人を軍人・兵士にもつ人間として、私たちには、イラクでの戦争に反対する特別の必要性と無比の役割がある。現在戦場にある、かつていた、これから赴くであろう人々は私たちの愛する人々である。死傷の危険にあるのは、私たちの愛する人々である。その経験から傷つき帰還してくるのは、私たちの愛する人々である。無実のイラク市民の負傷・死とともに生きていかなくてはならないのは、私たちの愛する人々である」
として、イラクの人々も、アメリカ軍兵士も、そしてその家族も愛する人をもつ同じ人間であることを強調している。
現在では、およそ4000の家族が加わっている。彼らは、アメリカ全土のみならず、英国など他国の軍人家族ともつながりをもつ。2003年8月にMFSOは、1985年に核兵器拡張競争に抗議する帰還兵によって設立された「平和のための帰還兵の会(Veterans for Peace: VFP(53))」のメンバーらとともに「ただちに兵士たちを故郷に還せ(Bring Them Home Now)」キャンペーンを展開した。
2004年7月には、VFPの助言協力を得て、「反戦イラク帰還兵の会(Iraq Veterans Against the War: IVAW(54)」が結成された。イラクからの全占領軍の即時かつ無条件の撤退、すべての退役軍人および現役軍人に対する医療保障その他の給付、イラク国民への賠償をその活動の目的としていた。
IVAWは、2008年3月、メリーランド州で公聴会「冬の兵士―イラクとアフガニスタン 占領の目撃者」を開催した。これは、1971年、ヴェトナム戦争時にミシガン州でVVAWが開催した冬の兵士公聴会にならったものである。帰還兵、現役兵、家族ら200人以上が集い、4日間にわたって数十人が証言した。
これらの反戦運動は、帰還兵自身の尊厳を回復するという意味もある。IVAW創設者のひとりで、コロラド陸軍州兵憲兵部隊の一員として2003年3月から04年2月までイラクで服務したケリー・ドーアティによれば、
「私たちの組織は、癒しと、自分自身がすでに失ったと思っていた自身の再生を意味するとともに、他の人たちを苦しめた自分の役まわりを償うことや、相互に支援し合い、母国のために立ち上がり続けることも意味している(55)」。
ある会員は、海兵隊におけるすべての軍務よりIVAWでの仕事に誇りを感じる、とも語っている。
「平和のための戦没兵士家族の会(Gold Star Families for Peace)」は、24歳だった息子ケーシー・シーハンを2004年にイラクのサドル・シティで亡くしたシンディ・シーハンらによって、05年に設立された。彼女は、息子の写真を手に「私は彼ら(国防総省)に、国防長官の政策の結果を見せたかった」と語っている。
彼女にとって、息子の死を意味のあるものにすることは、戦争を終わらせることであり、彼女は、アメリカ各地はもちろん、海外でも活発な反戦活動を行ない、イラク反戦運動の象徴的な存在となった(56)。
引用:<連載最終回>米国「対テロ戦争」の兵士と家族(7) 帰還兵が始めた反戦運動 市川ひろみ
アメリカ軍兵士・帰還兵は、軍内外で反戦運動を行なってきた。特にヴェトナム戦争時には、多彩な活動が展開された。1970―71年には、徴集された4人に1人が、反戦ビラ、反戦カフェ、サボタージュなど何らかの不服従・反戦活動に関わっていた(49)。当時は徴兵制であったため、多くの人々―社会的に恵まれた環境にある人々も含め―が直接の当事者であった。
「反戦ヴェトナム戦争帰還兵の会(Vietnam Veterans Against the War: VVAW(50))」による戦場の実態を知らせる活動は、アメリカ社会において広く人々の注目を集めた。
しかしながら、現在は志願制であり、すべての兵士は「自由意思」で入隊しているため、現役の兵士が反戦の活動に関わりにくい。「対テロ戦争」では、戦場を経験した帰還兵による運動だけでなく、兵士の家族らによる反戦運動が登場した(51)。
2002年に結成された「声を上げる軍人家族の会(Military Families Speak Out: MFSO(52)」は、軍に親族あるいは愛する人をもつ、イラクおよびアフガニスタンでの戦争に反対する人々の組織である。
「家族や愛する人を軍人・兵士にもつ人間として、私たちには、イラクでの戦争に反対する特別の必要性と無比の役割がある。現在戦場にある、かつていた、これから赴くであろう人々は私たちの愛する人々である。死傷の危険にあるのは、私たちの愛する人々である。その経験から傷つき帰還してくるのは、私たちの愛する人々である。無実のイラク市民の負傷・死とともに生きていかなくてはならないのは、私たちの愛する人々である」
として、イラクの人々も、アメリカ軍兵士も、そしてその家族も愛する人をもつ同じ人間であることを強調している。
現在では、およそ4000の家族が加わっている。彼らは、アメリカ全土のみならず、英国など他国の軍人家族ともつながりをもつ。2003年8月にMFSOは、1985年に核兵器拡張競争に抗議する帰還兵によって設立された「平和のための帰還兵の会(Veterans for Peace: VFP(53))」のメンバーらとともに「ただちに兵士たちを故郷に還せ(Bring Them Home Now)」キャンペーンを展開した。
2004年7月には、VFPの助言協力を得て、「反戦イラク帰還兵の会(Iraq Veterans Against the War: IVAW(54)」が結成された。イラクからの全占領軍の即時かつ無条件の撤退、すべての退役軍人および現役軍人に対する医療保障その他の給付、イラク国民への賠償をその活動の目的としていた。
IVAWは、2008年3月、メリーランド州で公聴会「冬の兵士―イラクとアフガニスタン 占領の目撃者」を開催した。これは、1971年、ヴェトナム戦争時にミシガン州でVVAWが開催した冬の兵士公聴会にならったものである。帰還兵、現役兵、家族ら200人以上が集い、4日間にわたって数十人が証言した。
これらの反戦運動は、帰還兵自身の尊厳を回復するという意味もある。IVAW創設者のひとりで、コロラド陸軍州兵憲兵部隊の一員として2003年3月から04年2月までイラクで服務したケリー・ドーアティによれば、
「私たちの組織は、癒しと、自分自身がすでに失ったと思っていた自身の再生を意味するとともに、他の人たちを苦しめた自分の役まわりを償うことや、相互に支援し合い、母国のために立ち上がり続けることも意味している(55)」。
ある会員は、海兵隊におけるすべての軍務よりIVAWでの仕事に誇りを感じる、とも語っている。
「平和のための戦没兵士家族の会(Gold Star Families for Peace)」は、24歳だった息子ケーシー・シーハンを2004年にイラクのサドル・シティで亡くしたシンディ・シーハンらによって、05年に設立された。彼女は、息子の写真を手に「私は彼ら(国防総省)に、国防長官の政策の結果を見せたかった」と語っている。
彼女にとって、息子の死を意味のあるものにすることは、戦争を終わらせることであり、彼女は、アメリカ各地はもちろん、海外でも活発な反戦活動を行ない、イラク反戦運動の象徴的な存在となった(56)。
引用:<連載最終回>米国「対テロ戦争」の兵士と家族(7) 帰還兵が始めた反戦運動 市川ひろみ